18940717 NO1573 英国公使の日本側真意打診に対する答弁通報

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駐韓日本公使館記録 4巻   二. 露日関係 二   (14) [英国公使の日本側真意 打診に対する答弁通報]

文書題目 (14) [英国公使の日本側真意 打診に対する答弁通報]

文書番号 電送第三六二号

発信日 Sent July 17th 1894. ( 1894年 07月 17日 )

発信者 Mutsu (*陸奥宗光外務大臣

受信者 Komura (*北京・小村臨時代理公使)

(14) [英国公使の日本側真意 打診に対する答弁通報]

電送第三六二号

Komura,

Peking.

(9.) British Minister to China telegraphed to 在日本英国臨時代理公使 to the effect that tone of your note 七月 十四日 to Chinese Government has formally incensed them and they construed it to mean that friendly negotiations are broken off; that British Minister to China has been requested to ascertain whether Japanese Government really had this intention and that negotiations may still be resumed if I send conciliatory assurances.

I answered that Japan has consistently maintained conciliatory attitude towards China and it was the latter that created the present situation by rejecting our proposal; that nevertheless Japan would still be disposed to entertain a conciliatory proposal if it comes from Chinese side through proper channel; but that Corean reforms have progressed so far that we cannot now go back to the original basis of our proposal.

Mutsu.

Sent July 17th 1894.

[電送第三六二号 参考]

文書題目 Memorandum

Memorandum

Mr. OConor informs me that the tone of the note addressed to the Chinese Government by Mr. Komura on the 14th inst. has formally incensed them, and it has been construed by them as meaning that friendly negotiations are broken off.

Mr. OConor has been requested to ascertain whether the Japanese Govt really had this intention.

Negotiations may still be resumed if Mr. Mutsu would send conciliatory assurances.(註: 英国臨時代理公使 手交 覚書)

(私訳)

電送第362号

(9.) 清国駐在英国公使は、日本駐在英国臨時代理公使に、清国政府はあなた(*北京 小村 臨時代理公使)の7月14日付通牒の語調に外見上憤怒しており、これを友好的交渉の中断を意味することと解説し、清国駐在英国公使に日本政府の真意確認を要請しつつ、私の妥協的な言質(げんち)があれば今でも交渉再開の可能性があることを電送してきた。

私が次のように答えた。「日本は清国に対して終始一貫妥協的な態度を堅持して来たが、現在の事態は我々の提議に対する清国の拒否に起因することだ。そうではあるが直接的な経路を通した清国側の妥協的提議があるならばこれを受け入れる。しかし、朝鮮の改革は現在我々の提案の最初の局面に帰ることは出来ない程度に進捗している」。

1894年 7月 17 発信

陸奧 外務大臣

北京 小村 臨時代理公使

[電送 第362号の 参考]

文書題目 覚書

覚書

オコーナー(OConor *英国駐清公使)公使は、中国政府は小村公使の今月14日付通牒の語調に正式に憤怒しているが、それを友好的な交渉の中断を意味する事として解釈すると私に知らせて来た。

オコナー公使は日本政府の真意確認を要請されている。

陸奧外務大臣の妥協的な言質はあるがまだ交渉再開の可能性はある。

(註 : 英国 臨時代理公使が手渡した覚書)

*イギリス公使オコーナー(*ニコラス・ロデリック・オコナー駐清公使)

*「 2. 激動する東アジア   a. 日清戦争http://ywhc.ken-shin.net/futski/6_2_a.html

「 ? 英露の干渉  6月30日、ロシアのミハイル・ヒトロヴォ駐日公使は、清と日本の同時撤兵を要求するロシア政府の厳しい公文を陸奥外相に渡しました。伊藤首相と陸奥外相はこれを拒否することを決めました。しかし、すでに6月25日のヒトロヴォ公使との会談で、陸奥外相は清が挑発しない限り日本から開戦することはないという言質を与えており、日本側からの強引な対清開戦は困難になっていました。

 これに並行して、イギリスのジョン・ウォードハウス・キンバリー外相が調停に乗り出し、ニコラス・ロデリック・オコナー駐清公使を介して清の意向を確認したうえで、ラルフ・ページェット駐日代理公使に対し、日本政府に日清共同で朝鮮内政改革を進める条件を確認し、交渉成立には両国軍の同時撤兵が必要であることを伝えるよう指示しました。

 日本にはロシアとイギリスの調停を同時に拒否する力はなく、伊藤首相も陸奥外相も、イギリスの調停を受け入れざるを得ず、早期に対清開戦を行おうとした日本側の方針は挫折しました。

 ところが、清は7月9日に、日本の撤兵まで交渉に入れることができないという予想外に強硬な返答を小村寿太郎駐清公使に告げました。10日には、西徳二郎駐露公使から、ロシアの武力干渉はないとの情報が入り、11日の閣議はイギリスの調停を承けて行っていた対清交渉路線を放棄して、開戦準備の再開を決めました。12日には、イギリスの調停を拒否した清に今後起きる事態の責任があるという第二次絶交書の送付を決定します。

 ? 清政府の主戦論と開戦回避論

 日本の積極的な動きに対して、対朝鮮問題の責任者である李鴻章は日本との開戦回避に動いていました。彼は軍備拡張を進めた日本の動きを把握して、清と日本の軍備の実態を知っていたので、列国に働きかけて日本を押さえようとしていました。

 一方で、主戦論の中心人物は光緒帝と若い皇帝を補佐する側近の翁同和と李鴻藻でした。7月9日、総理衙門が小村壽太郎公使に対し、イギリスの調停を拒否する強硬な返答を伝え、日本の開戦論を生き返らせました。

 このため、李鴻章は清国内の反対派に挟撃され、一挙に大軍を送って日本軍を圧倒しようとするしかなくなり、結局李鴻章は、7月19日に牙山へ 2,300名の援軍を送る出動命令を下し、別に 6,000名を平壌へ送る計画を立てました。

 日本側はこの増援部隊派遣について、清の対日開戦意図を示したものであるととらえ、開戦に踏み切ることになったのです。」